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<流転の淵>についてのメモ
2017


1<流転の淵>とは、他の淵である<呪物の淵><変化の淵><天地の淵>から排除された絵画における象形世界の抽象絵画の領域である。

2.四つの<淵>はそれぞれが異なった志向性によって明確に区別される。しかし作品によってはどの領域の<淵>であるか不明の場合がありうる。

3.<流転の淵>は中心点を持たない。個々の作品は排中律的な無限の<差異>に満ちた世界である。

4<流転の淵>は美におけるフラクタル構造を根源的本質としているため、尽きることのない世界である。

5<流転の淵>の持続は究極的には<像の自立>を目指す。

6<流転の淵>は像(イメージ)を共同化することによって<わたし>から<わたしたち>へと絶えず開こうとする。

7.四つの<淵>によって象形世界の全領域を覆うが、四つの<淵>は便宜的に四つの領域に限定しただけであり、多くの<未知の淵>がすべての領域に重なって多層的に内在している。

8.<流転の淵>は捩れた空間の彼方からやってくる。他の<淵>も同様である。

9.わたしは<流転の淵>の持続をもっとも重要な課題としており、他の<淵>をひとまず< >に入れて封印する。しかし時折、封印を紐解いて試みる。

10.来るべき絵画はそれぞれの<淵>のどこかの見えない場所に存在する。また永遠に発見不可能でもある。


        来るべき<絵画>への夢想  1988

      
<それ>は見ることが出来ない<空白>のイメージである。

     <それ>はなにか単一の<実体>でありながら表現された<絵画>としては無数の作品としてあらわれるなにかだ。

     <それ>はかつてこの地球で描かれたすべての絵画に関係していながらそれら全部を拒絶する力に満ちている。 

     ハルカ彼方 、宇宙ノ果テヨリ、<それ>は到来したようにみえながら、この地上にも発生の存在理由を所有しているように必然として感じられる。
 
     <それ>は来るべき<絵画>のなかでのみ十全に光として現れる。
 
     そのひとつひとつの<絵画>はそれ以外の表現では絶対にありえないひとつの典型として見えるだろう。

     結局は<それ>の存在は私達人間の精神の本質に由来しているに違いない。

     <それ>は<美>の<理想>のたとえではない。むしろ<異端>に属する何かであろう。