テキスト


1.記憶とかたち 
2.記憶する物質
3.境界ー関係の通路として
4.手の中プロジェクト
(2003年の活動
5.デリダのねぐら―境界シリーズ―

6.見えない橋
7.近況報告 
2012年1月
8.記憶と未来    早見 堯

1.記憶とかたち(個展のためのテクスト)
 ーDrawing By Paper Making−
 記億自体に根拠はない。あらゆる記億は不確かなものであり、何らかの装節を伴うものだ。重要なのは根拠ではなく、現実との相対的関係の中にある記憶のイメージそのものである。記憶は現実の変化とともに、最初のうちは表情豊かに立ち現れてくるが、やがて少しずつそのディテールを失い、感触をなくし、匂いを奪われ、色あせたモノトーンの像として引き出しに収まる。最後に残るのはおそらくシルエットと化した、ある意味であらゆる付随物を削ぎ落としたイメージ/形象であろう。記憶をかたちにするということは、つまり心の中の色あせた、しかし最も本質的なイメージ/形象に再び光をあてる発掘作業であり、しのびよる情熱やシステムの支配を押し返して、自己を確認し自律性の中に解放する作業である。
 私は、版画からインスタレーション、パフォーマンス、立体や平面と様々なジャンルで発表してきたが、ただその時々のやりたいものをかたちにしてきただけだと思うし、これからもその気持ちは変わらない。共通しているのは全て紙に関わる仕事で、'86年よりぺ一パーワークを開始して以来'90年より「Genius Loci」シリーズ、'92年より「原形質」シリーズ、'94年より「PUPA」シリーズと続けている。いずれも物質と生命の記憶をテーマにしている。今回の個展は「原形質jシリーズの一つで、最初の生命、かたちが出現する現場を、自然の手を借りながら出来るだけ神秘的なナゾを残したまま表現した。染めた楮の繊維(和紙の原料)を漉くことによって作成したドローイング約15点を展示する。
1998年10月



2.記憶する物質1996.8.15
 '90年の始め、同名半盲という原因不明の不思議な病気にかかった。幸い3ヶ月経って、それは自然に治癒したのだが、その間、日常の生活では体験しえなかったような無意識の領域をかいま見せてくれた。現実と幻覚を半分ずつ見分けていたのかもしれない。
 これは両眼の左半分ずつが見えなくなるという病気−というよりは、単に器官損傷あるいは機能障害といった方がわかりやすいだろう。つまり、眼球の左半分は右脳と、右半分は左脳といった具合に、視神経は交差するように後頭葉と連動していて、その視路の一部が傷害を起こしていたのである。目の見えない状態とは暗闇の世界のように思っていたが、私が見たものは逆に明るさの世界、それも強烈な光の残像のような焼きつくような白い感覚だった。これは太陽の光だと咄嗟に思った。一億年という途方もなく長い逡巡の果て、海中生活のに別れを告げ上陸を果たした生命体の眼球の驚きは、このようなものであったに違いない。われわれは普段、目は自分の物だと思っているが自分の経験したはるか彼方に目や肉体という物質は構造的に属していて、時空を越えた情報をその内部に隠しもっているように思われる。そうしたものが何かの拍子に、無意識の領域から記憶としてふっと蘇ったりするもののようである。このことはつまり、目という限定された場で起こった出来事でなく、循環システムとしての場、または系としての場の問題として見なければいけないことになる。前者は生態系のことであり、後者は生命誕生以来の進化論的視野のことである。
 創作というものは、目に見えないものを現わにするものだとすれば、まさしく現実世界で見ることのできない、非日常的知覚体験をその核に組み込んだ記憶する眼球(物質)のようなものとする見方ができる。それは永遠不変の象徴としてでなく、環境とともに誕生し成長し、時間とともに変化し消滅するといった、物質と生命との関係を現出するものでなければ意味がない。                  



3. 境界―関係の通路として2002.2
風化した土塀の向うから 橙が一個 ポロッとこぼれ落ちた

これが私のふるさとのイメージである。今回、この茶室における空間構成で、私は一種のふるさと論を試みてみたいと思った。
萩は私のふるさとなのだが、帰郷することもあまりなくなってしまった。30年という長い時間の距離が、境界として、萩と私の間を隔てているかのようだ。特定の場への帰属意識が強ければ強いほど、この境界は、より強固な障壁となってわれわれの前に立ちはだかるだろう。
 都会と田舎の間を往き来する私の宙づりの意識は、そのどちらの空間にも属さない中間的な架空の場で浮遊したままである。現実には、場としての領域を持たないその中間地帯で、私は空想を繰り返す。 茶室内部と外部を分ける境界に、紙状の掛け軸をつるした。紙は植物繊維という線の集合体であり、面となる。空間における境界とは、現実にある壁や塀、障子や襖のような物理的遮蔽物であると同時に、面という抽象的概念でもある。私は空間を分割する遮蔽物としての面ではなく、荒い繊維質の原麻を用いることにより、気体や光が通い合うような透き間だらけの面を意識した。
 本来、茶室外部は四季折々の変化を味わうことができる自然空間であり、亭主にとっては、日常生活の場でもある。しかし、ここでの茶室外部は、コミュニティの内部であり、美術館という公共建築の内部であり、また、私の「ふるさと」へと通じる内部空間であるともいえる。この内でもあり外でもある不思議な空間を原麻の紙で取り囲んでみた。つまり、この路地空間そのものが境界面として機能するようにした。植物繊維の中に、自然環境やその律動は集約、凝縮され、内と外の境界に生起する景として表現されるだろう。
 その記憶の路地から茶室内部に潤り入ると、畳ではなく、土が敷き詰められている。土は東京の私の生活空間から持ち込まれた関東ローム層の土である。
 空間の変容は視点の移動を可能にし、時間や空間や場所を越えて、ある瞬間、東京から萩へ、過去から現在へと地と図が連動を始めるだろう。境があっても結ばれているような、やさしい空気につつまれた空間をしつらえた。
 境界は、実際には美術館という場所に設置されるのだが、観念的には、他の場所に設置されたともいえるだろう。私のいう他の場所とは、すなわち「ふるさと」と呼ばれる架空の場のことであり、その場は、始めに記した〈風化した土塀〉のイメージと重なるひとつの幻影なのだ。境界は、東京という生活空間と萩という故郷を隔てる幻影として存在し、両者の関係の通路として、総体としての「ふるさと」空間に宙づりにされる。
 ふるさとは、その場所にあっては見えてこないし、外からの視線だけでも存在しない。内からと外からの相方向の視線が交叉する、まさにその時、その結界に立ち現れる蜃気楼のようなものかもしれない。別のいい方をすると、具体的な“場所性”としての故郷にではなく、“関係性”としての「ふるさと」に境界は存在し、現れたり消え去ったりしながら、自然の中で確かに揺らいでいる。 世界は境界に満ちている。国家、民族、文化、宗教のみならず、親子であれ、夫婦であれ、すべての関係に境界は存在する。そして、その存在を認識することによってのみ、われわれは世界と自律した関係をとり結ぶことが可能となるのだ。       

茶室へのメモ
このお茶室は、自分自身の在所をテーマとした一種のふるさと論だった。私はそこで「世界は境界に満ちている。国家、民族、文化、宗教のみならず、親子であれ、夫婦であれ、すべての関係に境界は存在する。そして、その存在を認識することによってのみ、われわれは世界と自律した関係をとり結ぶことが可能となるのだ」と結んだ。このモチベーションとなったのは、その前年に起こったアメリカの同時多発テロだった。
                                          


4.手の中プロジェクト
1.コンセプト
何かを作るとき、われわれはナイフからコンピュータまでさまざまな道具を使うが、その根源的な手段は、人間をほかの動物から分かつ「自在になった手」そのものである。作品制作者だけでなく、人間にとっての「手」は普遍的な身体的道具である。「手」によって出来るかたち、または、握るという原初的行為によって得られる造形物は、単なる実用や娯楽のためのものではなく、人ともの、人と人とのつながりを新たに構築していく想像力を秘めている。
2.ワークショップ展開
Workshopとは、もの作りに参加する人々が相互の意見や技術の交換、紹介をする研究会を意味していて、ジャンルや世代、所属の壁を越えて共演するような共同制作(コラボレーション)の工房でもある。いろいろな場所でのワークショップを通して、「手」による「手」のためのもの作りの輪を広げる。
3.共同制作の意義
ここでは「手の中」を共通項として、一人一人の指紋が個性を持っているように、握った手の中で出来るさまざまなかたちに注目する。複数の個人が「手の中」という原点で結ばれた共有感覚を生みだす関係を目指し、一人では不可能なコラボレーションによる造形作品のあり方を体験的に実践してみる。できるだけ多くの人の合意、協力を得ることにより、美術と社会を結び合わせるコラボレーションのあり方を模索する。
4.展示方法
このプロジェクトに参加したすべての作り「手」が、対等に共存している連帯感のある展示方法を考える。「手の中のかたち」は個人的なものであっても、単独者の一方的なメッセージではなく、それらが集合し一つの調和を生みだすことにより、人間や世界についてのさまざまな想像力を呼び起こすきっかけになればいい。
5.素材(紙)からの発想
紙は現代社会の中では必要不可欠のもので、長い歴史の中で発明、開発、商品化されてきた。近代化、工業化の洗礼を受けた紙をここで見つめ直し、もの作りの視点で美術の素材として扱うこと。伝統的、工芸的、職人的とも思われがちな紙原料ではあるが、誰でも、気軽に、その場でもの作りに参加できる素材としてこのプロジェクトを考えた。
6.作り方
@水分を多く含んだ紙原料を用意
(楮だけだと繊維の毛羽立ちがでるので、古紙やパルプを混合する)
A適量を手で握りつぶす
(何度も握り返さずに、一回のみで手型をとること)
B握った手からはみ出た原料は、片方の手でよく押えてしぼる
(型くずれしないよう水分は可能なかぎりしぼり取ること)
C自然乾燥
(天日で一日、または、そのまま展示台の上にのせて3−4日で乾燥)


5.デリダのねぐら   一境界シリーズー
  代補性の論理では、外部は内部であり、他者と欠如はマイナスに置き換わるプラスとして付加されるべくやって来るのであり、何ものかに付加されるものは、この何ものかの欠損にとって代わるのであり、欠損は内部の外部としてすでに内部の内部に存在する、といった具合なのである。(丁グラマトロジーについてjジャック・デリダ) 
 2002年、萩の美術館で発表したお茶室『境界一関係の通路として』以来、〈境界シリーズ>に取り組んでいる。
 〈境界シリーズ>は、事物の外皮、空間の表面、現象の背後というような存在しがたいもの、見えにくいもの、不安定なもの、実在感の希薄なものをかたちにしようという試みである。いわぱ'非在'を視覚化するという、非彫刻的な多義的空間を想定している。いわゆる存在そのものではなく、多様に存在するものどうしの関係の構造を提示すること、虚空を実体として存在させること一これは無謀な挑戦といえるだろうか?
memo
タイトル   デリダのねぐらDpofDerr1daタイトル
サイズ    7x1.2x2.5(h)m一予定
素材     麻、電球
形態     インスタレーション(他平面作品数点)
手法     ファイパーワーク(紙漉き技法)

6.見えない橋  2011年1月
 私のアトリエの前には名栗川(入間川上流)の清流が流れる。川岸は小さな岬のように突起していて、そこに不揃いな八個の石が連なる階段がある。昔、ここには橋が架かっていたという。おそらく土地の西川杉を材料とした素朴な木橋だったのだろう。みすぼらしい石段を上ると、木々が岩盤にしがみつくように根を張っていて、現在、橋の残滓はどこにもない。かつて、この辺りはしばしば川が氾濫して床まで浸水したこともあった。何年前の水害で流されたのか誰も知らないし、気にする人もいないが、その橋は確かに存在していた。昭和61年に上流にダムが完成したが、ここに橋は二度と架けられることはなかった。

 一昨年の夏ここに引っ越して来たばかりの時に、<創発>2009にオープンアトリエという形で参加した。この時はアトリエ造りが優先だったので展示はありあわせの作品で間に合わせた。そして今回<創発>2010ではパフォーマーを招くということもあって、アトリエ内展示と共に庭全体を麻繊維で被うという設いにした(阿蘇山晴子によるイベント当日は残念ながら雨天で、ほとんど庭作品は舞台として使用されなかった)。アトリエを会場にして、開放するのは<創発>で初めての試みである。新しい土地での新参者にとっては、仕事や私的空間を公開することにより地域住民と親しい関係を築くという目的もあった。

 今回は初めに橋のイメージがあった。地域社会とのつながり、個と共同体、自己と他者、生活と環境、過去と未来、生と死、見えるものと見えないもの、そのような総体としてのおぼろげな橋のイメージだ。アトリエは、いわば胎内であって外に向かって生を主張する。胎内での出来事は目には見えないが、新たな活動は母体と一体化したまま微かに脈動している。そして全く異なった環境に放り出されたいのちは、物理的には母体から独立し外の空間に接触することになるが、その内部空間では確実に遺伝子レベルで母体と繋がれた同一体であり、同時に膨大な時間的空間を背負った存在でもある。それは「見えない橋」が時空を超えた相対的関係の中に架設されたまま漂っているように見える。

 ノアの日の大洪水について、神は言った。
「私は今、地に大洪水をもたらして、その内に命の力が活動しているすべての肉なるものを天の下から滅ぼし去ろうとしている」(創世記・第6章)
この箇所では、天と地の概念と同時に、肉体の中に宿る霊魂といったような二元論的な構図が見えてくる。しかし「命の力」とは何か。ここではルーアハ“RUACH”(筆者によるアルファベット表記)というヘブライ語を用いている。聖書中のルーアハという語は力、つまり「生命力」と訳されるだけではなく「霊」とも訳される。つまり霊とは、肉体(物体)に命を与えるものであり、生きている被創造物すべてを活動させる精神、生気や目に見えない力を暗示している。
宗教や神話の被創造物は不在のものでありながらも、知覚的には存在する。しかしそれを実体として認知するためには超感覚的知覚のようなもの、ある種の信仰心が要求されるだろう。不在のものから実在の像をイメージするというありきたりの想像力ではなく、そこから生気してくる見えない力のようなものを感じとる精神感応である。それこそが“RUACH”という語で示される。「ルーアハ」すなわち、霊的なるもの(精神や心や魂、あるいは生命力や記憶)が体を離れる時、物質(肉体)は死に、それが元々あったところである地に帰る。同様に生命力はそれがもともとあったところである神に帰る。この考えは、物質的なものは常に下降運動をし精神的なものは浮力と関係を持つといったような二元論に立つベルグソンの『創造的進化』に連動していく。

 アトリエ内、ほぼ中央を横断するように橋を架けた。二つの故郷をもつ二重橋だ。巾1.15mの細長い和紙 − 水を栄養分として成長する植物/麻の繊維を素材に、水の中で水の力で形成され、乾燥したものを紙とするならば − 紙の橋はまさしく水に触れて溶かされ水に帰還する宿命を負った「見えない橋」ということができないだろうか。それは水面に接することなく、重力より浮力として、遮蔽するより透過するものとして限りなく薄く、不安なまなざしで胎内に浮遊している。


7.近況報告    2012年1月 

「日本画塾」に初めて客員講師として行ったのは、たしか2000年の寒い冬の日だった。その頃私は数校をかけもちで教えていたが、実技中心でレクチャーのみというのは初めてだったのでとまどった記憶がある。「ペーパーワーク」についてスライドを見ながら紙素材のこと、和紙と洋紙の違い、紙漉きのこと、制作のエピソード等々話した。紙は表現の単なる媒体でも、絵具の支持体でもなく、紙そのものが表現にとっての重要な要素であるというようなことを2007年まで講義させていただいた。お世話になりありがとうございました。

 一時期、私はあきるの市の第3セクター、「ふるさと工房」という紙漉き場の主任をしていた。五日市は東京都で唯一の和紙(軍道紙)を生産していた所で、その伝統や技術の保存、継承を目的に紙漉きの指導を中心に活動をしていた。伝統や技術から学ぶことも多いが、しかし、それらを一旦ゼロ地点に還元し、新たな地平から物事をとらえ直す美術的視点との根本的な違いから、ずっとジレンマを感じながら仕事をしていた。
 2008年にそこを辞して、翌年、飯能にPAS和紙アートスタジオを開設した。すぐ前に名栗川(入間川上流)が流れる自然豊かな静かな山間地域である。この地も昔は、五日市と同様に川の清流を利用して和紙の原料である楮を晒していたようだ。記録では、江戸中期にはこの辺りに紙漉き業者が36人あった(武蔵野歴史地理)というが、現在では、その残滓は地区のどこにもない。
PASは紙漉きの技法を守るためにではなく、紙素材による創作活動の拠点として設立した。この3年間で、徐々に設備も整ってきた。楮の栽培もはじめた。昨年は、工房壁面にショーウインドウを作った。人通りの少ない川沿いの通りなので、あまり効果の期待できないウインドウだが、創作和紙やペーパーワークを展示して1人で悦に入っている。それでも時折、地元の人が立ち止まって話しかけてくれたり、保母さんに手を引かれた園児たちが、「美術館みたい」と言って賑やかに通り過ぎる。ウインドウ作りを手伝ってくれた友人たちは、「飯能の山中に突然出現したギャラリーロッポンギ」とか言って揶揄する。

 現在 私は、「西川材」と呼ばれる地元の杉、檜、椹といった樹木に注目している。それらの樹皮を苛性ソーダで約8時間煮込み繊維を採取し、創作和紙にしたり、作品にしたりしている。紙作品を作りたいという人にも工房を開放して自由に作業できるようにした。時々、アドバイスもする。東京や神奈川からも数時間かけて制作に通って来る熱心な和紙ファン、作家が多い。今年はそういう生徒さんたちの作品も「ギャラリーロッポンギ」に展示したいと思っている。


8.記憶と未来    早見 堯

現在(2015年3月9日)、柳井嗣雄は自分のこれまでの作品を選んで提示する「Art Challenge on Facebook」を展開中だ。そこには、柳井が版画の支持体としての紙から、紙の物としてのあり方へと興味を集中し始めたころからの作品が提示されている。
柳井が版画というアート・メディア(アートの媒体)の領域を飛び越えて、アーティストとして最初の跳躍を成し遂げたのは1987年だということがわかる。

1987年に銀座の画廊で発表された自分で漉いた紙をつかった「誘発No.0307」を振り返ってみたい。
天井から床に垂らされた紙の上に石が置かれている。紙が天井から床に垂れ下がっているだけなら重力に従う自然状態だ。石に押さえられることで重力にさからって軽やかに緊張した紙と石との関係が生まれている。しかも、紙も石も、その場で見ている者と同じ床を共有しているので、非現実的なアートの造形としてよりも、見る者と地続きの現実の出来事として感じられる。長方形の紙と不定形な石とか、柔らかい紙と堅い石といった造形的な見方が脱臼され、ずらされるのだ。
同じ年の「誘発No.0114」では、10メートルある長い麻紙が中央部分でしなやかに折り束ねられて5メートルに縮小され、折り束ねられた紙の部分の左右には二つの石が置かれている。二つの石が麻紙を左右から中央に向かって圧縮したかのようだ。床でなければこうならないので、床という現実の場所での紙と石の出会いによる因果関係、すなわち物同士の自動的な出来事だと感じられる。

二つとも、作り手である作者の関わりが希薄になっている。だから、作者の意図や造形的な感覚の介入を感じさせないのだ。作者の個人的なオリジナリティから解放されて、物や場所が自動的にある状態をつくりだしたかのように感じさせる。物と物、物とそれが置かれている場との関係がある出来事をつくり、その結果、見る者に空間を意識させたり、空間を変質させたりしているのだ。
柳井は、こうしたインスタレーション作品を「もの」シリーズと名づけている。柳井自身が述べているように、「もの派」のセンスに似ている。「もの派」は絵画や版画、彫刻といったアート・メディアから逸脱し、メディアを越えて物と物との関係を作品にしたのだった。

柳井嗣雄が「もの派」的なセンスで制作していたのはそれほど長くない。
「もの」シリーズの時期に柳井が体得した重要なことがらは次のものだ。作者という個人の感覚のオリジナリティといった従来のアートの価値観を転倒させて、個人的なものを越えたもっと根源的でしかも広い領域に柳井の関心を向けたことだ。
この「もの派」的ポジショニングから次の方向に再び跳躍しなかったら、いまの柳井嗣雄の作品は生みだされることはなかっただろう。色や形の組み合わせに固執する造形的な絵画や版画というアート・メディアから、そういうアート・メディアを成り立たせてきた物(材料)、そしてそれを生みだしている植物や水、光、空気、土といった自然そのものへと柳井は関心を集中させる。
自然はそこで人が育まれ、人間の営みが続けられてきた場所でもある。したがって、以後の作品には人間の営みがメタファー(隠喩)のようにダブルイメージで浮き彫りにされることが多くなる。

1990年に始まる「樹木」シリーズのなかの秀作「水と植物の領域」には、柳井嗣雄の新たな飛躍が鮮やかに刻印されている。紙漉きの現場で、長い間、植物と向きあった結果うみだされた作品だ。
柳井はこのあたりのことを的確に述べている。

「紙は樹木や植物の繊維の集合体であるという原点に立ち戻った時、いろんなものが見えてきた。人類が初めて植物繊維という新素材を手にした時、まだ紙という存在がなかったころこの素材は未知なる可能性を秘めていたはずだ。紙の構造や組成に興味を持つようになり、人体の毛細血管のような植物繊維は再び「樹木」という元々あった姿に還って行くことになる。」

個人的な意図や感覚から離れて、紙によりそい、紙の原料である樹木や植物の内部に入り込むことによって「樹木」シリーズへの飛躍は開始された。
紙の原料である樹木は空から光を降下させ、大地から水を吸い上げ、光と水とを結合させることで自らを成り立たせている。「水と植物の領域」では、樹木を内側からいったん解体されて植物繊維がとりだされている。それから、植物繊維を再び天空の光に向かって立ち上がる樹木として再構築されている。物の骨組みを内側から解体してバラバラにし、それまでの物とは異なる物として組み立て直しているのだ。内側からの解体と再構築。ジャック・デリダ的な脱構築ということになるのかもしれない。
「水と植物の領域」で樹木にされている植物繊維は、水を含んだ樹木を水で煮沸したり水に浸したりすることで取り出されたものだ。作品にされた植物繊維は水を抜かれ乾燥させられている。光を浴びながら立ちすくんでいるように見える。でも、むしろ、光を求めて神々しいと同時に、むなしく立ち上がっている樹木に擬せられた植物繊維。そこには、かつて文字通り瑞々しかった生きた樹木だったころの水の記憶をアルケー(根源)として宿らせていることがはっきりと感じられる。
樹木は光や水といった自然の生態系とつながっていて、その生態系の場では生と死とが静かにせめぎあっているのだということがわかる。大地から立ち上がり、大地に戻っていくわたしたち人間の姿がメタファーとなって重なって見えてこないだろうか。わたしという個人の意図や感覚を越えたところで大きな生の営みが繰り返されているのだ。
1999年、練馬区立美術館での「和紙のかたち」展で展示された「風化した世紀」は、亡くなった20世紀の偉人を植物繊維で立体肖像にした「遺物」、その中央に立ち上がっているロダンの「地獄門」を彷彿とさせる「朽ちた大樹」で構成されていた。生と死、二つのうちのどちらかでしかないわたしたちの現実に、生と死とが共存することができる場所があるのではないかと思わせられたのを憶えている。

「樹木」シリーズと対になるのが「根茎」シリーズだ。
光を求めて上へ、空へと向かう樹木の幹や枝に対して、水を求めて大地の奥や横へと文字通り縦横に伸び広がっていくのが根茎だ。光のない闇を肥大化した情念が這いずりまわる妖しくも混沌とした生のエネルギー。「樹木」で水が潜在させられ封じ込められていたのと同じように、「根茎」では光が精神的な傷痕のように抑圧され閉じ込められているようだ。光への渇望をビジュアル化したのが「根茎」シリーズの「光のゆくえ」にちがいない。

このように、簡単に概観しただけで、柳井嗣雄の方法が鮮明に浮かび上がってくる。物のアルケーに侵入して、内側から物を解体し再び組み立て直すという脱構築的な解体と再構築が制作の基本的な方法なのだ。
一つは、アルケーへと肉薄することによって個人的な意図や感覚といった「作者性」から解放されるということが重要だ。もう一つは、内側からの解体と再構築によって物と世界の埋もれていた記憶、抑圧されて潜在化せざるをえなくなっていた情念とを発掘することができるようになったのだということがわかる。
そのことによって、柳井は、わたしたちに物と世界を認識するあらたな枠組みを提示することが可能になったのだ。

物のアルケーに侵入し、内側から物を解体し再構築する方法は、昨年末(2014年)には、東京、仙川プラザギャラリーでの「Dark Cloud」へと展開されていた。
樹木の表皮に和紙を貼付けて、樹木の鋳型(雌型)を採った作品が典型的だ。ここでは物の文字通りの内側ではなく、外側の表皮が写しとられていた。樹木の表皮は、反対から考えると、樹木がそのなかにいる、あるいは、樹木を取り囲んでいる大気の表面でもある。樹木の鋳型で写し採られたのは、樹木なのか空気なのか。樹木が光と水とを結合させたときに生まれるのは大気だったということを想いおこしておきたい。
もし、大気だとすると、そこには果てしない大気の宇宙が雌型として刻印されていることになる。実際、樹木と同じように大気のなかで生活しているわたしたちも、また、宇宙に接して生きているのだ。わたしたちは、つねに、すでに、ここに在るのに、いまは、まだ認識できない物や世界に触れ合って生きているのだ。
いまは、まだ認識できない物や世界、それが未来だ。柳井嗣雄は潜在している未来の予兆を植物繊維に痕跡化しているのかもしれない。生と死が共存しうるように、記憶と未来も共存できるのかもしれない。植物繊維を解体し織り上げながら、そこに光と水、大気と大地などを組み込んで、多数多様な星座を練り上げていく。柳井は感覚できる物質を精神的な非物質に変容させる錬金術師、そして、作品は死の淵から帰還するオルフェウスやイザナギを連想させないだろうか。
(はやみ たかし 美術評論)